歴史

広告宣伝5000年の歴史 - マーケティングの世界史はどう変わったか?

投稿日:2020年3月17日 更新日:

advertising

世界最古の広告は、5000年前に作られた化粧品の広告だと言われています。宣伝広告とマーケティングの歴史は深く、長い時の中で変わらないものも多くあります。歴史の変遷を振り返ることで、現代のマーケターは様々な学びを得ることができるでしょう。

広告の語源とは

まずはじめに、「広告とはなにか?」を改めてふりかえります。

「広告」とは読んで字の如く「広く告げること」という意味ですが、もともと広告という言葉は日本には存在せず、明治維新後に大量に日本に入ってきた欧米語のひとつ「Advertisement」を翻訳した単語になります。Advertisementの語源は

ad-「その方向へ」vert「向きを変える」-ise「する」-ment「こと」

という構成になっており、もともとは特定の方向・対象に向けて注意を促すというニュアンスの単語であったことがわかります。「広く告げること」とは、だいぶ意味合いが異なりますね。

どのような過程でAdvertisementが「広告」と訳されることになったのかは今となってはわかりませんが、日本においては英語本来の意味が持っていた指向性が薄れ、広義に存在を知らしめるというニュアンスの方が高まることとなりました。この根本的な思想は現代でも変わらないと思っています。

広告の定義

では、広告はどう定義されるのが望ましいのでしょうか。世界的なマーケティングの権威であるフィリップ・コトラー氏は広告を次のように定義しています。

フィリップ・コトラー

"Advertising is any paid form of non personal presentation and promotion of ideas, goods or services by an identified sponsor."
(広告とは、スポンサー名を明らかにして行われる、アイデアや財やサービスの非人間的なプレゼンテーションやプロモーションのうち、有料の形態をいう。)

要点をまとめると

  • 有料であること
  • 人を介さないこと
  • アイデア、製品、サービスを勧めていること
  • 広告主が明示されていること

ということになります。およそ50年前に発表された定義ですが、現代では必ずしも当てはまりません。

まず「人を介さないこと」という点については、Youtuberによる宣伝など人を介した多様な手段が生まれています。「有料であること」という点は一理ありますが、ではなんらかの理由で無料で展開したプロモーションは広告とは呼べないのかと言うと、やや違和感があります。「広告主が明示されていること」という点はもっともですが、どちらかと言うとルールでしょう。

ということは、現代でも通じそうなのは

”presentation and promotion of ideas, goods or services”

この1点であり、ここに全てが凝縮されているように思います。なぜなら、現代ではあまりにマーケティング手法が多様化しすぎてしまっているため、細かく条件を定義すればするほど、例外が山のように出てきてしまうからです。

「なんらかのアイデア・製品・サービスを紹介、または宣伝する活動」

このシンプルな考え方が、現代において最も適切な広告の定義だと考えます。

広告の世界史

古代の広告

古代の広告

 

「この化粧品を使えばどんな老人でも若くなる。百万回も実証済み」

 

文明史における広告の歴史は古く、現在確認されている中では紀元前2500年ごろの古代エジプトで発見されたこの化粧品の広告が最古とされています。パピルスに書かれていたビラのようなものだったらしいですが内容は現代の広告文とさほど変わる点はなく、人間心理の変化の無さに驚かされます。

広告とは一般的になんらかのメディアを媒介にして発信されるものです。インターネットもテレビもない古代において、使える媒体は限られたものでしたが、すでに現在に通じるビジネス・広告宣伝活動がこの時代から行われていました。

パピルス

パピルス

上記の例のように、商品や自分の店の宣伝文句をパピルスに書いて配るという文化がすでに存在していました。当時は奴隷制度が一般的であったため、逃げた奴隷を探すために主人が広告を作成したという事例も残されています。

看板

古代の看板

看板は古代からメジャーな宣伝手法でした。古代アテネの商店はみな店先に独自の看板を展開していたとされています。

古代の壁広告

人がよく集まる広場の壁には、催し物、新商品の宣伝、スポーツイベントの告知など、様々な広告が書かれていました。今で言う広告代理店ビジネスはすでにこの時代から確認されており、広告主から注文を取り、スケジュールに応じて壁の宣伝文を書き換えるといった仕事をしていたようです。

呼び売り

古代の呼び売り

古代バビロニア(現代のイラク南部)では、人を使った集客を積極的に行っていたようです。その役割は細かく分けられており、店の前でのみ客引きができるバーカー(Berker)、街中で楽器を使いながら店の宣伝ができるクライアー(Crier)とベルマン(Bellman)といった職業が存在していました。

石碑

古代の石碑

経年劣化に強い石材は、主に国王の偉業を記録するために用いられ、記念碑として飾られました。今で言うPRのはしりであり、紀元前2500年ごろから多く確認されるようになります。

中世の広告

中世の広告

広告ビラ

中世の広告ビラ

時代が中世に移ると、印刷術を用いて広告を制作する流れが出てきます。今でいう広告ビラの誕生です。印刷術が広告に使われた世界最古の事例は、北宋時代の中国(960年〜1127年)で発見された商店の宣伝ビラとされており、銅版印刷が用いられています。グーテンベルグが活版印刷機を発明する300年以上も前の時代ですから、当時の中国がどれだけ先進的であったかがわかります。

ラッピング広告

同じく中国の元の時代(1279~1368年)には、印刷された広告入りの包装紙が見つかっています。

のれん

のれん

日本においては、およそ15世紀ごろから店の「のれん」を広告媒体として利用し始めました。もともとのれんは広告に使われるものではありませんでしたが、経済が発展し競争が生まれていく中で、いつしかのれんを宣伝に用いるようになりました。

看板の発展

中世の看板

中世では、古代から使われていた看板がさらに進化していくことになります。造形技術、意匠の進化はもちろんのこと、商品のサンプルを模型として展示してみたり、巨大な屋外広告を作成したりと、視覚的にインパクトのある作品が多く生み出されるようになりました。

近世の広告

近世の広告

引札

引札

日本では江戸時代に入ると「引札」と呼ばれる独自の広告ビラが発展します。引札とはいわゆるチラシのことで、カラー印刷を用いた色鮮やかな媒体です。1863年に越後屋呉服店が「呉服屋現金安売り、掛値なし」のキャッチフレーズのもと江戸中に配布したものがその始まりと言われています。記録によると、この越後屋の引札効果は絶大だったらしく、売上が60%も増加したとのこと。これは、日本で最初に広告の効果測定を行った事例でもあります。

傘(プリント広告)

同じく越後屋の事例として、雨傘に自社名をプリントして町中に配ったという話も残されています。現代でもそのまま使えそうなアイデアですね。

大衆芸能

大衆芸能と広告

江戸時代の庶民の娯楽として代表的なものは歌舞伎ですが、この歌舞伎は広告と密接に結びついていました。商品を作中に実際に登場させたり、その効能を役者が劇中で褒め称えてプロモーションを行うなど、現代でいうプロダクトプレイスメントが正に実施されていました。人気の歌舞伎俳優は庶民に対し絶大な影響力を持っていたため、有効な宣伝手法であったと思われます。

絵入りカード

絵入りカード広告

時を同じくして、海外でも日本の引札と同様、絵入りのカード・チラシが人気の広告手法になっていました。日本の引札が文章中心であったのに対し、海外の場合は絵が中心であり、サイズは名刺のような小型サイズからポスター並の大きさまで様々な物が用いられました。

パンフレット

発達した印刷技術は冊子の制作をも可能にし、それは広告パンフレットも出現させました。その多くは8ページから12ページ程度のものでしたが、「情報を冊子にして配る」という行動は、後の新聞の誕生につながっていきます。

新聞広告の誕生

新聞の誕生

そしてこの時代の最大の特徴として、新聞が初めて人類史に登場したことが挙げられます。

生まれたばかりの新聞は「ニューズブック」と呼ばれ、複数のニュースがまとめられた一冊の小冊子の形式を取っていました。ニューズブックはまずオランダとドイツで流行し、その後、イギリスやフランスに広がっていきました。新聞にはっきりした広告が確認されたのは1626年11月21日付のオランダの新聞で、砂糖、コショウ、タバコなどの競売告示がその内容でした。

ちなみに世界最古の「日刊新聞」はドイツで生まれました。その名も「アイン・コメンデ・ツァイトンク」。日本人には、かなり発音しにくいですね。

大量の情報を効率的に発信できる新聞は、またたくまに世間に広まっていき、その後も長くマスメディアの頂点に立ち続けることになります。新聞の有効性にいち早く気づいた商人たちは、新聞広告であらゆる商品の宣伝をするようになりました。また、新聞広告は一般市民の間でも活用され、結婚相手を探す求婚広告や、故人の死を知らせる死亡広告などが出稿されるようになりました。日々魅力的な商品が掲載される新聞広告は、当時の人にとってひとつの娯楽でもあり、広告の社会的意義が高かった時代でもありました。

しかしこれはあくまでヨーロッパ・アメリカでの話。日本に新聞が出現するのは、さらに時代をまたいだ後になります。

広告代理店の出現

広告ビジネスの規模拡大に伴い、広告主と媒体を繋ぐ代理店が登場するのは自然な流れです。記録に残っている世界最古の広告エージェントはイギリスのウィリアム・テイラーで、1786年に広告出稿の代理業を行ったとされています。正式な記録は残されていませんが、テイラーが活躍した時期には他にも多くのブローカーが存在していたようです。

交通広告

近世の交通広告

当時の主な交通手段として馬車がありましたが、これも積極的に広告に活用されました。乗客や街ゆく人の目に止まるように車体や幌、荷車といったあらゆるスペースにビラが貼られていました。現代の交通広告・ラッピング広告と発想は全く同じですね。

サンドウィッチマン

看板を持って街をねり歩きながら宣伝をするサンドウィッチマンも、近世以降多く出現するようになりました。近世のサンドウィッチマンの中には、徒歩ではなく馬で移動する者もいたようです。

書籍広告

徳川時代には、書籍の巻末に広告を掲載する書籍広告が始まりました。さらに本の作中において商品を宣伝する手法も生まれ、人気作家が執筆する広告本も流行しました。

雑誌の誕生

近世においては、4大マスメディアのひとつである雑誌もまた出現しました。世界最古の雑誌は1665年のフランスで創刊された文芸誌『ジュルナル・デ・サヴァン』で、日本では1867年に洋学者の柳河春三が発刊した『西洋雑誌』が最も古いものになります。

近代の広告

近代の広告

日本でも新聞が始まる

日本でも新聞が始まる

日本では活版印刷の技術自体は16世紀には伝えられていましたが、新聞や雑誌といったメディアが登場するのは19世紀に入ってからになります。

ヨーロッパ・アメリカから遅れをとること200年あまり、1861年に初の日本語新聞が誕生します。『官板バタビヤ新聞』と称されたその新聞は、オランダ語の新聞を翻訳したものでした。

日本で最初の新聞広告は、横浜の商人である中川屋嘉兵衛が『万国新聞紙』に掲載したもので、「パン、ビスケット、ボットル、右品物私店に御座候間多少に寄らず御求被成下度奉願候」という文面でした。中川屋嘉兵衛は先進的な人物だったようで、その後も図解入りで牛肉の広告を出稿するなど、初期の新聞広告の発展に貢献しました。

「広告」という言葉の誕生

私たちが日々当たり前のように使っている「広告」という単語は、まさにこの時代の新聞から生まれました。日本で初めて「広告」という単語が出現したのは、1872年の「横浜新聞」4月14日号だと記録されています。この横浜新聞は新聞の内容の半分が記事、半分が広告という構成をしており、広告収入を主たる収益源とした、当時としては画期的な新聞でもありました。

鉄道広告

1872年に日本初となる鉄道が新橋〜横浜間で開通。それに伴い、三等客車内に限り、広告の掲載も許可されました。日本の交通広告のはしりです。

雑誌の発展

雑誌の発展

新聞が発展するに伴い、雑誌もまた進化していきました。明治に入ると日本で初めての女性誌『女學雑誌』が創刊され、『中央公論』『文藝春秋』といった今でも存在するような有力紙の発刊が相次ぐようになりました。雑誌の市場規模が拡大するに伴い、雑誌内広告も増加した他、雑誌そのものの広告が新聞紙上を賑やかすようにもなりました。雑誌はその後も消費者の生活スタイル・価値観の多様化に後押しされながら様々なタイプのものが生まれていくことになります。

映画広告

日本に最初に映画が輸入されたのは1896年ですが、大正時代に入ると、映画が庶民の娯楽として確立されていきます。企業や商品を映画内で宣伝する手法が流行しました。映画で商品を宣伝し、さらに映画の宣伝を新聞で行うなど、メディアミックスしたプロモーション手法も確立されてゆきました。

ラジオ広告

ラジオ広告

1922年以降、ヨーロッパを起点にして各国でラジオ放送が開始されるようになりました。日本において正式にラジオ放送が開始されたのは1925年3月22日でしたが、はじめのうちは広告放送は全面的に禁止されていました。主な理由としては、ラジオ放送は当初、健全な文化の発展と促進を目的として始まったというのがひとつ。もうひとつは、当時の広告ビジネスの王者であった新聞社が自分たちのシェアをラジオに奪われるのを恐れたからとも言われています。しかし先行して広告を開始していたアメリカで大きな成果がラジオ広告から出ているという事例が生まれるにつれ、日本でもついに1932年に広告が解禁されました。

テレビ広告

CM

時代が1900年代に入ると、いよいよテレビ放送が開始されます。日本においては1953年2月1日にNHKが本放送を開始しました。テレビの場合はラジオの時とは違い、民放が参入した同年8月にはすでにCMが放送されています。視覚・聴覚の両方に訴えかけ、多くの人との同時体験を可能にするテレビの力は凄まじく、マスメディアの王者として長く君臨していくことになります。

ネオンサイン

昭和のネオンサイン

日本の高度経済成長期に忘れてはならない媒体が、ネオンサインです。現代では規制によりすっかりなりを潜めてしまいましたが、全盛期であった1960年〜70
年代前半は、日本の経済成長を象徴するような、明るく煌びやかな巨大ネオンサインが都市を彩っていました。表現力に富み、動的な仕掛けで街ゆく人の目を止めやすいネオンサインは、優秀な屋外広告手段だったのです。しかし巨大なネオンサインの維持にはコストがかさみ、1973年のオイルショック以降、急激に勢いを落としていきました。

スポーツイベント

スポーツイベント

スポーツイベントが企業のPRにとって絶好の機会であることが証明されたのが、1984年のロサンゼルスオリンピックでした。この年のオリンピックは歴史的な黒字額を達成し「コマーシャルオリンピック」と揶揄されたほどでした。今やスポンサードによるスポーツおよびスポーツ選手の広告媒体化は多くの種目・競技に普及しており、一般的なPR手法になっています。

現代の広告

現代の広告

 

バナー広告

バナー広告

現代の広告を語る上で最も重要なのはインターネットの勃興でしょう。インターネットの登場以降、広告の概念がオフライン/オンラインの2つに分断され、それぞれ専門性も分かれていくことになります。

1990年代後半は様々なポータルサイトが生まれていましたが、突出していたのは1996年にオープンしたYahoo!Japanです。この年はインターネット広告を取り扱う代理店も多数創業されており、まさに時代の節目と言えるような年でもありました。

インターネット初期と広告との関係は、まずはバナー広告から始まりました。前述したYahoo!のようなポータルサイトの収益源はまだ限られており、TOPページに貼ってあるバナー広告がその主なものでした。インターネットという全く新しい技術が生まれても、まずはバナー広告という至極単純な「看板」が広告として出現するという話は、まさに歴史は繰り返すことを象徴するような展開だと思います。

やがてバナー広告はテクノロジーの進化に伴い、同じ広告枠でも表示される広告が都度変わるディスプレイ型広告、行動履歴を活用したリターゲティング広告、動的要素を組み込んだダイナミック広告など、派生の進化を遂げていくことになります。

検索連動広告

2002年、Overture(Yahoo!)とAdWords(Google)の2つの検索連動型広告が本格的に展開されます。今でこそ当たり前である検索連動広告ですが、ユーザーのニーズに合わせて広告を出し分けるというスタイルは、当時としてはまさにイノベーションでした。この頃の検索エンジンシェアはまだYahooとGoogleで6:4ほどの割合であり、まだまだYahooが優勢だった時代。広告においてもOvertureとAdWordsのシェアは拮抗していました。

しかし、この時点からすでに完全セルフサービスだったAdWordsに比べ、従来に代理店方式の入稿・運用形式をとっていたOvertureはやや運用のスピードと手間という点でどうしてもAdWordsに劣っていました。さらに、広告の掲載順位を入稿金額と品質スコアで決定するという画期的な仕組みをAdWordsが打ち出したこと、検索エンジン自体のシェアが大きくGoogleに寄ってきたことなどを受け、AdWordsがYahooに差をつけ躍進していくことになります。

DSP/SSP/DMP

デジタル広告が活況を呈していく中で、広告を掲載する媒体側でもさらに収益を向上させたいという要望が強まってきます。そこで、数ある広告の中から最も収益性の高い広告を選んで配信してくれるSSPと、出稿側の利益を最大化するための買い付けを行うDSP、データで両者を結びつけるDMPが生まれ、ディスプレイ広告においても検索連動広告と同様のオークション形式での買い付け(Real Time Bidding)が実現されるようになります。さらにDMPは、パブリッシャー側のデータを活用したパブリックDMPと、自社で保有しているデータを活用するプライベートDMPの2つに分かれていきます。

SNS

SNS

Facebookが産声を上げたのは2004年のアメリカ。2000年代は、数多くのSNSが生まれ消えていって時代でもあります。現在においても、大小含めれば膨大な数のSNSが存在していますが、世界的に特に影響が大きいものは限られています。特にFacebookはデジタル時代のマス広告と呼べるほど高いリーチを稼ぎ出すことができ、いっとき日本でもブームに湧きました。現代のデジタルマーケティングを実行する上で、SNS攻略は欠かせないものと言えるでしょう。

広告媒体として見たときに、SNSと他媒体との大きな違いは、フォローの概念があることでしょう。これにより、自社ファンとより濃密なエンゲージメントを築けるという利点があります。さらにユーザーのサイコグラッフィク的属性は他媒体よりも細かく取得することができることも特徴です。一方で、SNSの種類により効果的な配信方法や訴求内容は異なるため、運用の難易度は他媒体に比べ高いです。

モバイルの時代

モバイルの時代

AppleのiPhoneが世界で初めて登場したのは2007年。その後の数年間で、スマートフォンは瞬く間に世界を席巻していきました。現代においては「モバイルファースト」という言葉があるように、まずはモバイルから最適化していくというスタンスが主流になってきています(業種にもよります)。

絶対的に可視面積の小さいスマホにおいては、PCに比べて表現に大きく制約が加わります。また、行動履歴が分断されがちになり、分析や広告配信の最適化が難しくなるという側面も持っています。一方で、スマホには個人ひとりひとりに、いつでもどこでもアプローチできうるという、これまでにない特徴があります。

動画広告

動画広告

昨今、急成長を遂げているのがスマホ向けにWEB動画を活用したマーケティングです。4G回線やWifiが広く普及したことで、動画を移動中に見るのが困難でなくなったことが主な環境要因ではありますが、かつてTVが爆発的に普及したのと同様で、視覚・聴覚に同時に訴えかけられるメディアは原則的に強い力を持つというのが根本理由にあると思います。動画広告は、Youtubeのような動画プラットフォーム内での配信と通常の運用型広告の枠内で配信できるものの2種がありますが、5Gの普及に伴い、さらに市場が拡大していくのではないでしょうか。

結び

昭和25年(1950年)に発刊された『広告50年史』を著した当時の電通社長・吉田秀雄氏は、当時こんな言葉を残しています。

吉田秀雄

「今日の広告代理業者はもはや単なる料金の交渉、原稿の運搬、あるいは金融機関代行業者のようなものであってはならない。媒体と広告主の間に介在するスペース・ブローカーという程度のものでは、その存在価値なく、広告宣伝の企画、技術、市場調査、販売効果を資料によって提供し、広告主及び媒体側の手間と経費を省き、広告活動を合理的かつ経済的にする専門的サービスを行うだけの機構と機能を備えることが要望されている」

すでに70年前において「単なる代行業者ではなんの価値も無い」と看破されています。しかし現代の日本のマーケティング業界はどうでしょうか。果たして「単なる代行業者」以上の存在になれているでしょうか?

広告の歴史を改めて振り返ってみると、変わらないものの多さに驚かされます。確かにテクノロジーは比類なき大きな進化を遂げていますが、どの時代においてもも、やっていることは本質的には古代から変わっていないのです。これは人間は変わらないという事実であり、人間が変わらない以上、その人間の心を動かす手法も変わらない、という事実なのだと思います。

だからこそ、歴史から学べる点は数多いものです。初代ドイツ帝国宰相だったビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という名言を残しています。この格言そのものが、歴史から学べることだとも言えるでしょう。

しかし、ただ歴史を踏襲するだけでは学びにはなりません。古いからといって馬鹿にせず、過去と現在をどうミックスさせていくのか、最新のテクノロジーといかに融合させていくのか、その舵取りが新たな歴史を紡いでいくのでしょう。それが真の意味で「歴史に学ぶ」のだと思います。

参考文献:
広告50年史(編:日本電報通信社)
広告の世界史(著:高桑末秀)
広告のルーツ(著:高桑末秀)
看板の世界(著:船越幹央)
現代メディア史(著:佐藤卓巳)
西洋広告文化史(著:春山行夫)
広告文の歴史(著:鵜月洋)
日本の歴史的広告クリエイティブ100選(著:岡田芳朗)
日本屋外広告史(著:谷峯蔵)
インターネット広告の歴史と未来(著:アタラ合同会社)
コトラー&ケラーのマーケティング・マネジメント(著:フィリップ・コトラー、ケビン・レーン・ケラー)

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